障害のある子を持ったお母さんたちが集まり、行政や市民に働きかけ、福祉制度が徐々に整えられました。
昭和49年(1974)、小平手をつなぐ親の会は誕生しました。学校に通うこと、作業所に通うことを実現し
ました。小平の先輩お母さんたちの歩みを紹介します。(これまでの会報を参考に作成)
年譜 | 活動の様子 | 周辺の主な様子 |
昭和45年頃 | お母さんが集まって、幼児グループの誕生 | |
昭和49年 | ちえおくれの子の親の会発足 |
全員就学 あさやけ作業所(無認可)発足 |
昭和50年 |
小平一小若竹学級設置 |
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昭和51年 |
第一回一泊旅行実施 市民まつり出店 |
都立小金井養護学校仮校舎 (小平九小プレハブ校舎)業務開始 |
昭和52年 |
市教育委員会と話し合い 成人対策費の貯蓄開始 |
みんなの家´77開所 都立小金井養護学校開校 「けやき青年教室」誕生 |
昭和53年 |
第一回バスハイク(横浜氷川丸) 小平二小若草学級の介助員・スクールバスなどについて 話し合い |
あさやけ作業所認可 ゆうやけ子どもクラブ発足 |
昭和54年 |
会報創刊 卒後の通所の場の必要性を訴える |
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昭和55年 | 小平二中に心障学級設置 | |
昭和56年 | 「国際障害者年をすすめる小平の会」に参加 |
近隣五市(田無・保谷・小平・武蔵野 小金井)に都立養護学校を作る会発足 |
昭和57年 |
「福祉センターを考える会」に参加 福祉バザー出店 |
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昭和58年 |
「東大和基地跡地に都立都営の重度障害者施設を建てる 会」事務局となる |
現在の「東大和療育センター」として 実現 |
昭和59年 |
卒後在宅ゼロを目指して活動 |
「あさやけ鷹の台作業所」開所 |
昭和60年 |
成年部(40名) 学齢部設立 |
「小平障害者福祉センター」オープン |
昭和61年 |
作業所部会設立、勉強会を持つ。 高等部を中心に作業実習に取り組む。 「市立市営の精神薄弱者通所授産施設建設」の陳情書を 提出 (市の援助により、現在の「のぞみ作業所」と して実現) |
年金制度の改正 親の収入に関係なく、知的障害者に 年金支給開始 |
昭和62年 |
料理教室開始 |
「障害者の卒後と生活を考える会」 発足 |
昭和63年 |
「みどり作業所」開所 昭和52年から始めた成人対策費の100万円を資金とする |
平成元年 |
「みどり作業所」通所者8名、指導員5名、 スペシャルオリンピックスに参加 |
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平成2年 | 「みどり作業所」市の助成を受ける |
障害者センター通所定員オーバーと なる 都立田無養護学校開校 |
平成3年 | 「みどり作業所運営委員会」発足 |
「のぞみ作業所」開所 通所者15名でスタート |
平成4年 | 「障害者の卒後と生活を考える会」世話人となる |
小平市独自事業として、澄水園の緊急 一時保護(短期体験入所・ショート ステイ )事業開始 権利擁護センター発足 |
平成5年 | 会員100名 | |
平成7年 | 「みどり作業所」を浜崎氏に託す |
「みどり作業所」浜崎一郎所長 社協 誰でもが気軽に集える「サタ デー広場」開設 |
平成11年 |
「あおぞら福祉センター」オープン |
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平成12年 | 「成人を祝う会」開催 社協主催から引き継ぐ | |
平成13年 |
生活寮「クローバ」開設 会員153名 |
「小平第二みどり作業所」開設 |
平成14年 |
「メール広場」発行開始 |
「だれもがともに小平ネットワーク」 開設 |
平成15年 |
「障害者施設案内」発行 次年度以降「障害者の卒後と生活を考える会」が発行 |
支援費制度に移行 「あさやけ風の作業所」開設 |
平成16年 |
本人活動「パーカッションクラブ打駄っ鼓2004」活動開始 |
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平成19年 |
第1回防災訓練 小平青年会議所との共催「障害理解パンフレット」作成配布 障害理解啓発活動「小平安全ネット」開始後に 「キャラバン隊」 |
障害者就労生活支援センターほっと 障がい者地域自立生活支援センター ひびき 地域生活支援センターあさやけ 開設 特別支援教育のスタート 副籍制度始まる |
平成20年 |
会員200名 こだいらあんしんネットワークの一員となる 小平療育支援協議会と協力し、冊子「こどもといっしょ」作成 多摩小平保健所主催事業「地域支援サポートリーフレット」 作成協力 |
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平成23年 |
「東京生活支援ノートブックつなぐ」の普及 「防災アンケート」実施 |
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平成30年 |
小平市防災委員を会長が委嘱 |
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平成31年 |
本人活動「ショートテニス」を社会福祉協議会とともに開始 |
令和2年 | 東京都福祉保健局「歯ッピー大会in小平清瀬」実行委員 | ― |